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ロシア後期の現代音楽(英語:Proximity Russian avant-garde)とは、現在進行中の音楽である。ここでは特に現代におけるロシアの現代音楽の動向について解説していく。

ペレストロイカ以降 

ソ連崩壊後、現代音楽の情報は完全に解禁された。モスクワ現代音楽アンサンブルの創立は1990年、モスクワ現代音楽スタジオの創立は1993年であり、ソ連崩壊まで現代音楽のアンサンブルを組むことすら、逮捕の口実になりえたのである。これらの現代音楽アンサンブルの創立の著しい遅延は、ロシアの若い演奏家へ計り知れないダメージを与えた。日本でも同様の現象が見られるが、「ロシア人の演奏家なのに、ロシアの現代作曲家を知らない」ということも依然として稀ではない。シニートケの音楽が日本やアメリカなどの資本主義国で広く聴かれるようになったのもこの時期であり、スウェーデンのBISレーベルはシニートケ全集を直後にスタートさせている。
国境すらも大きく変わり、ソフィア・グバイドゥーリナはタタールスタン共和国の作曲家、アラム・ハチャトゥリアンはグルジア生まれのアルメニアの作曲家と言った具合に、ソ連から独立に成功した共和国か独立を望む共和国の音楽家は、国家間では一切の連携を絶つことになった。コンクールの応募状況ですら、ロシア連邦内の共和国は切り離されて個別にカウントされる。これは作曲のみならず、演奏も同様の現象が生じている。それでもモスクワで学んだ音楽家の指導力に未だ依存している背景は変わっていない。そのために独立に成功した共和国は独自に現代音楽を奨励しようと言う動きが若干見られる模様である。近年のCall for Scoresにはウズベキスタンからの問い合わせすら珍しくない。バルト三国はそれまでモスクワの楽壇ともコンタクトがあったが、これを機に独自の路線を歩むことになる。
1990年代にはセルゲイ・ベリンスキー、アリフレート・シニートケ、モイセイ・ヴァインベルグらが相次いで亡くなり、またも大きな精神的支柱をロシアは失うことになった。活動に制限がなくなったため、国際コンクールへの挑戦も自由に行うことが出来るようになった。恐らく、コンスタンチン・シュモレヴィッチはロシア人初のガウデアムス音楽週間入選を果たすことが出来たが、これは留学先のフランスからの投函であった。ヴァレリー・ヴォロノフもルトスワフスキ作曲賞を2000年に得ている。アメリカのピアニスト、イヴァ・ミカショフはアメリカ人として初めてウクライナ人の作曲家のオレクサンダ・シチェティンスキー(シェチンスキ)に委嘱を授けた。シチェティンスキーはその後国際的な作曲賞を次々と制した(セロツキ、ルトスワフスキ、ルクセンブルク、デユティユ、マーラーの総てで入賞または優勝)ことで、楽壇の評判をさらった。
モスクワ現代音楽アンサンブルがツアーを行った際、前半をロシア・アヴァンギャルドの作品、後半をアレクサンダー・ヴスティンからアレクセイ・シオウマクまでの世代をカヴァーした演奏会がイギリスで行われており、ロシアの新しい世代の作曲家達は2002年以降もオランダ、ポーランド、ドイツなどで定期的に上演され、高い評価を得ている。近年先輩格のボリス・フィラノフスキから、アレクセイ・シオウマクがサンクトペテルブルクで、Structural Resistance Groupを結成し、グループで動き出した。この時期はモスクワ音楽院で教鞭を取るウラジミール・タルノポルスキーが次々と世界に俊英を送り出したことも特筆される。ようやく指導陣が最先端の音楽語法をリアルタイムで継承できることになった、良い証明である。(それでも、旧共産党時代の「体制派」が一蹴されたわけではない)
この世代に該当する作曲家はヴァディム・カラシコフ、ドミトリ・コゥリャンスキ、アレクセイ・シオウマク、アントン・サフロノフ、アッラ・ケッセルマン、ドミトリ・シェグラコフ、オルガ・アルシナ、オルガ・ボチヒナ、マリナ・コルコヴァ、ニコライ・クルスト、ウラジミル・ゴルリンスキーなどが挙げられる。当局によって海外活動を制限されることがなくなったため、学生でこぞって数々の国際マスタークラスに参加しており、以前では考えられない師事暦を持つ作曲家も増えた。ヴェラ・イヴァノヴァはロシアからアメリカ合衆国にわたって作曲を続けた、最初の成功例である。単なる偶然なのか、聞き苦しさや陰鬱な雰囲気に彩られた作品を多く見かけるのは、スターリン体制下の音楽家への不当な冷遇を想起させる。女性であっても、相当な音響の爆発が認められる点も特筆される。
近年では国内で最も優秀とみなされた作曲家をDAAD研修プログラムで渡独させ、ベルリンで創作させることも行われている。この恩恵を受けた作曲家に、A.サフロノフ、D.クルリャンツキー、S.ネフスキーがいる。その中のD.クルリャンツキーがロシア人初のガウデアムス大賞に輝いたことにより、大きな歴史の変化がロシアから起きたと考えられている。

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