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芸大アカデミズム(げいだい- )とは、東京藝術大学(芸大)の音楽学部の卒業者の演奏及び作品の傾向に対して貼られる、レッテル(偏見)のひとつ。


概論

なぜほとんどの場合音楽学部の学生のみにこの語が用いられ、美術学部の学生に用いられたことがほぼないのかについては解っていない。本来的に音響芸術は絵画工作のそれと異なり、動的訴求的な性質を有する。音楽が洋楽として捉えられ古来の雅楽が副次的なものとされたのは、明治後期または大正前期のことである。(主だった欧州由来の協奏曲などの主要作品は大正8.9年頃にようやく上野の奏楽堂で初演されている。即ち未だ100年経過していない現実がある。)絵画では日本画の長い伝統は現代でも脈々と引き継がれており、洋楽の急速な吸収のために不幸にも雅楽の伝統を一旦途絶えさせかねなくなった音楽芸術とは大きな相違がある。
未だ日本国内で歴史の浅い音響芸術に受容者が一定の評価を与えて安定した普及を目指そうとしたことは想像するに容易である。もちろん芸術の基本性質として学問同様既存の秩序に挑戦して新たな内容形式を獲得することは当然であり、こうした「芸大−」なる語もその反映といえる。また今後の音響芸術発展の余地も多く、形を変えた音楽−例示するとインターネット(多方向)通信による情報革命など−日本社会に与える変革影響も小さくない。
また特異な点は「芸大アカデミズム」と呼ばれているにもかかわらず、日本のどこの音大でも似たり寄ったりの書式で作曲する作曲科学生が、後を絶たないことであった。これは東京と地方の情報格差が昭和の時点では想像以上に高く、東京の情報がある程度の遅延の末地方に伝達されていることと、深いかかわりを指摘せざるを得ない。尤も音楽芸術の使命は人間生活に隠れた芸術的要素を顕かにすることでもあり、中央から離れた社会の中にどのような土着要素を発見そして描写できるかーこれはショパンの土着舞曲(マズルカ)の中にも例がある。即ち中央地方の別を越えて作曲家の人間性が大きく反映している。
さて日本国内でも中央地方の政治社会があるように世界中どこの国にも、政治体制に屈したアカデミズムは存在する。芸術の持つ前衛性が体制のあり方と摩擦を起こすその結果である。20世紀の音楽に関する限り、イタリアならフランコ・ドナトーニ、フランスならクロード・バリフ、ソ連ならドミトリー・ショスタコーヴィチ、イギリスならハリソン・バートウィッスル、アメリカならエリオット・カーター、ベルギーならフレデリック・デブリーズという風に、どこの国にも「大先生」がアカデミズムの頂点に立っていた。この芸大アカデミズムは戦後50年余にわたって、特に日本の作曲におけるアカデミズムであったといって過言ではない。演奏のアカデミズムはマスタークラスや公開レッスンなどで、矯正されることが多い。

作曲

作曲に関して言えば、第三世代出現以前には確かに芸大アカデミズムと呼ばれるようなものが、存在していた。その特徴とは以下の特徴を有する。これは数十年間の毎日音楽コンクール、尾高賞、日本交響楽振興財団作曲賞などでみられた傾向である。
  1. トータル・セリエリズムを通過していないので音程の跳躍に制限がある。特に中低音域が鈍く、この属性が最も有名。時代遅れのメロディー作法と伴奏法が主流を占める。
  2. 楽器法の特殊奏法においては古典的なピチカートなどのみで、破壊的な不安をかもし出すピアノなどの内部奏法は、海外では長い間経験的に楽器の損傷は全くありえないとわかっていても、日本のほぼ全てのコンクールでは長期間無条件で厳格に禁じられていた。
  3. オーケストレーションは常に中音域をマスクする。そのためか、音響はベルト状に上下する。これが二番目に有名。常に全体を「鳴らす」管弦楽法が求められそれをもって管弦楽法の習得とされる。矢代秋雄は「無駄な弦楽の分奏(ディヴィジ)はやめていただきたい」と、生前に語っていた。それは、「鳴らない」音質であるからである。
  4. 反復語法への依存が高い。フレーズの反復は認められるが、パルスは忌避される。(cf.東音パルス楽派)。同じ繰り返しは3回までと決められる門下もある。
  5. 原則的に19世紀後半から20世紀前半までのリズム法しか使えない為、各楽器の個性が見出しにくい。
  6. ベートーヴェン以降の主題の展開法が必要不可欠。
  7. 音響作曲法の存在はバルトーク的な「効果音」として、十二音技法や電子音楽の習得の義務がないのでメソッドとして教えられる事は無い。
  8. 同一の密度が全曲に渡って保たれ、セクションを移るまで同じ音響が続く。このため、芸大アカデミズムを見慣れていない海外の作曲家が該当例の作品を査読すると、大抵は「用いられる素材が、音域を考慮しない」という答えが返る。
特定の作曲家に対して「この人が芸大アカデミズム」と安易に判断するのはあまり好ましいものではないが、その拠り所のおおきな一つの理論書となっているのが俗に言うフランス和声の色彩の濃い「芸大和声全3巻」やシャランのフランスの「和声学」や「学習フーガ」などである。他にヒンデミット系の松本民之助は弟子にのみ非売品の作曲テクストを配布しており、これも拠り所の一つになっている。(出典:坂本龍一の証言と執筆者本人が受けたレッスン並びに同僚との議論)
これらの出典は日本の楽譜と海外の楽譜を分析し比較すると、実に容易に特徴が証明できる。「この書き方でないと、卒業できなかった」という証言も多く寄せられており、学習過程でこの演習を経る事が作曲科の課題であった。しかし、問題なのは卒業後も同じ作風と属性を保って弟子に継承していたことなのである。池内友次郎はフランスから帰国したにもかかわらず、なぜこのように音色的に鈍いアカデミズムを擁したのか定かではない。彼の多くのフランス風作法を持った弟子達または孫弟子達の日本音楽コンクールや尾高賞などの大量受賞や審査員への登用などで、次第にそういった語法が日本に定着したものと言われる。当時、最も日本を代表する作曲家の多くが芸大出身者であったことも、かなり大きかったといわれている。(出典:過去数十年間の「音楽年鑑」のまとめ/音楽の友社刊)
当然の話だが、このアカデミズムを駆使して質の高い作品を残している作曲家がいないわけではない。それでも多くの場合は、このアカデミズムで個性を粉砕されるのが日本の慣例となっていた。

近況

しかし、これらの属性は1990年代初頭には影響力を失い、既に過去の遺物になった。若い人たちの語学の克服により北米や西欧への大量留学者たちの日本への流入などで目が開かれ、これまでの語法が消えうせられつつあり、替わって超グローバルなダルムシュタット・ショック等が日本の作曲界に大きなウエイトを与えつつある。要約すると、芸大アカデミズムとはケージ・ショックやダルムシュタット・ショックを素通りする根性そのものであると言える。日本と言う島国特有の情報の遮断があったからこそ成立しえたのが芸大アカデミズムであるのならば、今後このようなアカデミズムが現地で猛威を振るう可能性はない。(出典:数十年間のダルムシュタット夏期講習会の要約)
特定の作品へ向け「芸大アカデミズム」というレッテルを張ることは、存命中の作曲家の名誉を毀損する可能性があるので、あえて該当例を作曲した者の実名は伏せてある。全国の音楽大学や音楽教育大学においても芸大の教科書が部分的に用いられていたので、どこの地方でも結果は同じであった。未だにこのアカデミズムの直系が、地方の音楽教育大学で見られることがある。1980年代生まれの若手にまで、悪影響が微かに及んでおりFM放送で確認できる。
現在の日本の個々の作曲家においても、どこからが「芸大アカデミズム」でどこからが西洋の現代技法なのかといった境目は、大概折り重なっており様式的に不徹底である。松平頼暁は「ユリイカ」に「前衛を知らない世代」についての文章を寄稿している。この文章ほど、芸大アカデミズムを端的に物語った例はない。

ピアノ演奏

ミキモト・タッチとよばれる奏法がピアノ業界を多い尽くしていたことは、多くのピアニストの証言により明らかである。国内で幾多のコンクールを制しても、国際コンクールであっさり門前払いにされるケースが頻出したことで、この奏法の欠陥が改めて明らかにされた。中村紘子著「チャイコフスキー・コンクール」で明確に芸大を名指ししてはいないものの、多くの日本人がこの弾き方を継承していたことを暴露した。野平一郎は秋吉台セミナーで「多くの日本のコンクールで審査を勤めたり、ピアノを教えるようになって疑問に思うのは、なぜ日本人のピアノの弾き方はああも画一的なのか。古今のピアニストも全て手の使い方は全部違うのに、日本人のピアノは大概全部一緒である。」というコメントを1996年に残した。この2人は、正規の芸大ピアノ科の住人ではない。正規のピアノ科の住人であった園田高弘すら「日本人のショパンにゆとりがない」というコメントを残し、現代音楽に積極的であった彼は芸大ではなく京芸に教育の場を移さざるを得なかった。これらのエピソードでかつての芸大ピアニズムにどれだけの偏向があったかが伺えよう。
日本国内ではシューベルト作品がせいぜいロマン派で評価されるくらいで、基本的な音楽の路線は古典派しかない。社会的に封建性が色濃く残存しており、極端な前衛は排除される現状が昭和期にはあった。しかし純粋な音楽路線で頭角をあらわさなくとも別分野で行う事例も多く、西洋音楽の日本での受け入れの一つのあり方である。一例として(ピアノ演奏が得手とはいえないが音楽学校出身の)黒柳徹子の著作は時代社会的に大いに価値があり、また放送分野での活躍は目覚しい。前衛即ち醜悪即ち排除というのは理性がなく歴史的にも不当な対応であるが、ピアノ業界はその不当性の正当化に務めていた。
往々にして若い世代の持つ前衛性は一見洗練さとは程遠いが、内在する豊かな可能性を抽出するのも大きな意義があり、これは旧世代との知恵比べである。勿論その妥協点を予想し見出すのも芸術に劣らず価値ある作業である。一定の時間の中で社会の審理を受けるからである。

ヴァイオリン演奏

東京藝術大学でヴァイオリンを専攻した(昭和一桁世代の)兎束龍夫、海野義雄らは卒業後日本放送協会(N響)に参加し、古典派ソナタ作品(ベートーヴェンを筆頭にモーツアルト作品も含む)の名演を広げてきた。端正で気品ある古典派演奏は高い評価を勝ち得、今なお揺るぎがない。ただ前衛的な演奏(葉加瀬太郎、川井郁子などの若年世代)は商業的にも成功しており、国内のヴァイオリン芸術は硬軟多彩である。ヴァイオリン演奏は即ち交響楽団のあり方に通じる。N響が古典派作品で世界でも技量最高峰とされているが逆に新規創意にはその社会的勢力ゆえに消極的だといわれることもある。この点は純粋音楽的な要素ではとても説明しきれず、ラジオ-テレビジョンといった放送の文脈の中で捉えられるべきである。

音楽学

現時点で芸大の紀要には、ヴァンデルヴァイザー楽派やAudio-Artについての積極的な論考が一切掲載されていない。それは、「査読できる教授が存在しない」からである。これは楽理科への批判ではなく、「査読可能かどうか」といった事項への客観的事実である。
芸術はあまりに複雑な人間科学という査読困難な側面を、もともと持つ。このため明治期から現代まで正規教育の枠外に置かれて、他科学の参入を許さない由来があった。近年音楽学部を有する大学等の高等教育機関では芸術情報学部といった名称の変更が相次いでいる。勿論少子化時代の学生募集という面もあるが、音響芸術への他科学の参加という実験的な試みとして評価できる。「芸大−」が音楽の持つ危険性を直感的に察知して穏当古典な表現に自己規制してきたあり方であるなら、他科学がその理由を新たな客観的視点で解明する必要は当然あり、一つの前衛的萌芽である。文献解釈学、統計科学、音響工学、政治学、情報工学といった周辺分野が有機的一体として音楽学の補強をするのは現代総合科学の応用といえる。
驚くべきことだが、音楽学に関しては長らく柴田南雄音楽奨励賞のような懸賞論文の公募が行われてこず、内輪で音楽学者が輩出されてきた。この経緯も、なんらかの欠陥を生じさせてきたのかもしれない。ただ音楽宣伝-政治統治-自然科学の強度な結合は戦前のドイツ第三帝国−大日本帝国に現れ当然忌み嫌われている。本邦でもこの苦い経験が未だ国民の記憶のうちにあり、音楽の安定した進歩進展を願うあまり秘密単独主義的な学術であらざるを得なかったといえる。芸大アカデミズムは日独ともに敗戦国としての内国政治社会に合わせた芸術の姿であり、いまだその評価は流動的である。

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