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ヴァンデルヴァイザー楽派(ヴァンデルヴァイザーがくは)は、オランダの作曲家アントワーヌ・ボイガー、ドイツの作曲家ブルックハルト・シュロットハウアーによって、ヴァンデルヴァイザー出版社を1992年に設立したことから、この名で呼ばれている。


メンバー

楽派加入者は日本、アメリカ、ギリシアと国籍を超えて結集していた点が、かつての音楽史における「○○楽派」と異なる点である。西風満紀子、クンス・シム、クラウス・ラング、アレックス・アルテガ、チコ・メッロは、楽派参入時には有力なメンバーであったにもかかわらず脱退した。「歌いながら歩く」という意味が込められているらしい。

作風

この楽派の特徴は、最も音楽に使う素材を限定する特性によって知られる。30分の間に鳴る音が5回ほどということも珍しくない。作曲者自らが演奏に積極的に加わるのも大きな特徴であり、ラドゥ・マルファッティは元プロのジャズトロンボーニスト、ユルク・フレイはプロのクラリネッティストである。音を聴くこととはなにか、をここまで微視的に眺める楽派は例がなく、1990年代の大きな潮流とみなされた。ボイガーのアコーディオンソロの為の『砂の物語』、シュロットハウアーのクラリネットソロの為の『息から』は典型的なヴァンデルヴァイザー楽派の初期の成功作とみなされる。

各国への伝播

影響は徐々に国際的な拡大を見せており、リトアニアのリカルダス・カベリス、ロシアのヴァディム・カラシコフ、日本の飛田泰三、前田克治、河合拓治などにその痕跡を確認できる。現代音楽という狭義のジャンルを超えて日本の即興音楽シーンにも多大な影響を与え、杉本拓、宇波拓のライヴにも直截な影響が聞かれる。マイナーな潮流とみなされていたイディオムが僅か数年で広まった理由は、インターネットによる普及抜きには語れない。
日本に初めて紹介されたのは、クラウス・ラングが武生国際作曲ワークショップに招かれたのが最初にあたる。この後、杉本拓とラドゥ・マルファッティがデュオ・ユニットを結成(「ラク・スギファッティ」)して日本ツアーを行ったころからこの楽派の作風がブランド化し、安易に影響を被る即興音楽家が急増した。にもかかわらず、現代音楽のフィールドで活躍する演奏家がこの作風へ関心を持つことは依然として限られているのが、日本の特殊な受容展開といえるだろう。2005年にはマンフレート・ヴェルダーを含むメンバーが来日公演をいくつかの古寺で行った。

近況

クンス・シムの脱退から若干の猶予の後、音楽学者かつオルガニストでもあるエーファ‐マリア・ホウベン、アナスタッシス・フィリッパコポゥロスが正式加入した。ヘルムート・ラッヘンマンの弟子のシュテファン・ストライヒは一時期作品をこの出版社に預けたものの、2005年の時点では脱退者扱いである。楽派加入歴者はこれで18人に及ぶ。現在ではネットラジオによって作品の普及を行っており、影響の拡散に拍車をかけている。楽派に加入してはいないものの、マイケル・ピサロの高弟マーク・ソー、ティム・パーキンソン、ジェイムズ・サンダース等、楽派の影響の範囲内に該当する作品もオンエアされるようになった。CDリリースも原則的にはボイガーの選択眼に基づいており、脱退者の作品のCDも在庫さえあれば入手可能となっている。

「楽派」の定義

ただこういう「出版社」を「楽派」と言う流儀が認められるのであれば、他にケルンの「テュルムヒェン出版社」のテュルムヒェン楽派や「フィード・バック・スタジオ・フェアラーク」、ヘルムシュタットの「フーベルト・ホッヘ音楽出版社」のH・H楽派など作曲家達が集まって作った出版社や、ミュンヘンの「4分33秒」やミュンスターの「ミエロプリント音楽出版社」、ビュール・バーデンの「アンテス・エディション」、ユリアン・クライン出版社などある設立者がある作曲傾向を集めて作った会社も全部含めてすべて「楽派」と呼ばねばならない。
しかし、その手の独立系出版社に似た作風が集う可能性はやはり否定できず、多くの独立した「楽派」がそれぞれに意思を主張していると考えることは可能である。現在も、そういった分類方法には依然として疑問の余地があるので、当初は「超ミニマル楽派」、「ベルリン楽派」などとも呼ばれていたが、現在はこの名称で定着している。

エピソード

実はボイガーの意向で、音響ロボを駆使する後藤英や現在ではECMからのリリースに踏み切ったアルフレット・ツィメルリンや即興音楽ツァイトクレッツァーの同人も、すべて値段をつけて販売していた時期が長くあったが、現在はツィメルリンを除き全てカタログから外されている。そのツィメルリンもカタログの更新が長らくない。

参考文献

  • タワーレコード機関紙Musée vol. 19(1999年5月20日発行)「フレデリック・ジェフスキ(作曲家/ピアニスト)来日インタヴュー」(19p)
以下引用
(インタビュアー・五十嵐玄)他に興味をもっている若い世代の作曲家があれば教えていただけますか?
(ジェフスキ)(中略)あとベルリンに“ヴァンデルヴァイザー一派”というのがいます。何も起こらないというような音楽をやっているんですね。45分間で5つしか音が無いなんていう。特にアントワーヌ・ボイガーと言う作曲家が面白いんですよ。(後略)
以上の通り名前を触れるにとどまっており、雑誌の囲み記事と言うこともあり調べものとしての価値は認められないが、1999年の時点で日本語の文献にこの楽派の名前が既に出ていたと言う事実は見逃せない。

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