高校在学中に交換留学でウィスコンシンに渡ってから、アメリカで音楽を学ぶことを決意。大阪で多少事務的な仕事についた後に、インディアナ大学へ進学。同地で、スヴェン=ダフィト・サンドストロムに作曲を、ラリー・スミスにオルガンを学ぶ。ラファエル・フェルナンデツ、モートン・グールド賞受賞者のアンソニー・ジョセフ・ランマンと共にTHENEWSTYLE.ORGを結成し、当初は三人で活躍していた。(現在は三人とも別々の州に居住地を移しての活動になっている。)
第十二回
ヤング・コンポーザーズ・ミーティングに入選。入選作の「音楽(2005)」は入賞こそ逃したものの、五人の歌手と歌手指導のゲルダ・ヴァン・ツェルムから「驚くほどの高い音楽性、歌手を『人間』として扱ってくれることの喜び」を全員が認めた。これは必ずしも誇張ではなく、歌手達は荻野の曲を休憩中にもリハーサルをするという念の入れようであった。
現在もインディアナ大学に在学中である。インディアナ大学広報にもヤング・コンポーザーズ・ミーティング内の彼の作品に関する記事が掲載されていた。