一般的には、ウィキペディアをネット上で開放された自由な空間であり、
個人主義に則った
公共性のある
メディアのように思われがちであるが、実際には教義とも言える「
方針とガイドライン」や「
合意形成」に従い、秩序ある繁栄の道を歩むことを目的としているため、
コミュニティとしては
宗教団体に近いものと考えたほうがよい。なお、ウィキペディアは米国に本部がある
ウィキメディア財団が運営しているが、日本語版はあっても日本国内には財団の支部や窓口は設けられてない。
その理由として、ウィキペディア日本語版の最古参管理者である
Tomosは、ある国に支部を設けることによって、「
政府から支部に圧力がかかったとき、財団は手出しできなくなる。」と述べている
*1。裏を返せば、多民族国家である米国政府の一派から財団本部に対し、民族的な圧力をかけられる可能性があるのは否定できない。結果として、「
ウィキペディアでは検閲は行われません」と謳いながらも、
表現の自由や
知る権利はかなり制限されており、寄稿の際に「
信頼できる情報源」とされる出典を明示しても、利用者自らの思想、推論などで脚色することは御法度である(「
中立的な観点」も参照されたし)。
もっとも、信頼できる情報源とは大雑把に言うと、
自費出版の書籍や
同人誌、
機関紙などを除外した、利益の競合を前提とするメディアが主体になるため、その世界の偏向、対立・論争がそのまま持ち込まれ、絶えず
編集合戦や利用者間の言い争いが起きている。そのようなウィキペディア内での紛争を早期解決させるために、厳格な方針やガイドライン、過去の合意形成が機能している面もある。
また、アクティブな権限保持者だけでは管理業務が追い付かないため、その補助を買って出る
自警団とも言われるサポーターの存在は大きい。とにかく、
ネットマナーや一般常識だけでは通用しないロジックを持つコミュニティではあるが、自己保全にも繋がるルールの意味を飲み込めず、「
いつまでも納得しない」ほうが不適合的存在と言える。ただし、しばしば見られる
理論武装としてのルールの曲解、悪用を見抜いて、コミュニティの意見を仰ぐことも大事である。