これまでの一般的な形式としては、ある一定の素材を始めに長時間集中提示してその作品への印象を深ませる点、そして最後のコーダに至ってそれを180度場面転換または開放しさらに新しい世界を求めていく事が第一の特徴としてあげる事ができる。A-BのAの部分が長いバール形式の一種と考えられ、近年ではAの部分が95%を占める作品も作曲している。譜面はモートン・フェルドマン風の書き方だが、出てくる音響は別物に近い。かなりの頻度で超難解又は
演奏不可能の作品に憧れる傾向があり、この事は将来も現場の問題として頻繁に出てくる。これは、彼の作品の記譜が中学生でも読めるような書き方であるはずなのに、演奏家がミスしたおすことにも現れている。
作曲者自身は大変な知識の宝庫にも関わらず、若書きから来るような音響学や楽器法の経験不足もすでに指摘されており、「アイデア崩れ」との批判も根強い。日本では、少数派に属する理知主義作曲家の列に加えられる。
芸大アカデミズムの引力圏に引っ張られる問題は一切なく、むしろ欧米で一般に流通する作曲への考え方の情報がとても豊かな為、それを思う存分に使いこなしている状態と言って過言ではない。特殊奏法は必要のない限りはほとんど用いられず、面倒なインストラクションからは新しい音楽は生まれてこないという思考に支配されている。